「未曾有の危機」誰かがそんな事を言った。
過剰に危機感を煽る様な事はしたくは無いが、311以降日本が、日本の社会が抱える問題は良くなる方向には進んでいない気がする。リーマンショック以降、いやそれ以前から経済は閉塞気味で、平均収入は下がりっぱなし、一時もてはやされたGreeやDNAも株価は下がる一方で、Webの制作単価は下がりっぱなし、ECでは広告費は上がり、効果は下がり続けている。Facebookは上場に失敗?し、8年以内に消滅するとも言われている。
栄枯盛衰、盛者必衰って言えばそれまでだが、Appleでさえもジョブス亡き後の行く末が案じられている。GoogleやAmazonなどの巨人たちでさえも3年後は判らない様な時代で、我々の様な個人はどう生きてていくべきなのだろうか。
「アレもコレも」スーパーマンの様な理想像を追いかけ、全てに手を出すのには人生は短すぎる。特に僕の様な適当に生きて来た人間にとっては、残された時間はあまりにも短すぎるだろう。
一つの事で「ある程度」になるためには1万時間を要すると言われている。1日8時間で1250日、休まずにやっても3年以上の月日を要する。3年後にどうなっているのか全く見えない様な移り変わりの激しい世の中で、無限にも思える時間が必要なのである。
技術やスキルはある程度何とかなる。最悪は人を雇うか、依頼すれば良いのだ。もちろんそれにはそれなりのコストが必要になるし、マネージメントとか言う良くわからん別のスキルも必要になるのだが…。
こんな時代だからこそ、技術やスキルに注目するのでは無く、自分の「特性」にきっちりと向き合う必要があると感じる。苦手な事を克服したり、そもそもの人格を変える様な修行を積むには周りの変化が激し過ぎて付いて行けないのがオチなのでは無いだろうか
「自分の特性」良さも悪さも含めて、向き・不向きや趣向・思想などを「変えよう」と思うのではなく、「あるがまま」を受け止めた上で、最良のパフォーマンスを発揮出来る分野に向けて、その力を特化するべきなのだと思う。それこそが時間的、労力的に一番のパフォーマンスを発揮出来るのはずである。
コミュニケーションが苦手なのに、ビジネス書に必要だと書いてあるからマネジメントに向き合うよりは、マネジメントは誰かに任せて、得意分野の「営業」や「デザイン」や「プログラミング」で第一人者になる方が、むしろ成功への近道な様な気がする。
小さな企業が取るべき戦略として「選択と集中」と言う事が良く挙げられる。いろんな分野にこまごまと手を出すより、一つの分野で突出した成果を出す方が、限られたリソースでは成果が出やすいという事だろう。
企業は一様に「コミュニケーション能力」や「リーダーシップ」を求めがちだが、全員がリーダーの組織は存在しない。何でも出来るジェネラリストは理想の姿ではあるのかも知れないが、誰もがなれる物では無いはず。
特に僕の様なある程度の年齢に達してしまった人は、「今まで培ったもの」(それがほんのわずかであっても)と「自分の特性」を見極めた上で、徹底してスペシャリストになる覚悟を決めるべきである。スペシャリストってのは自分の分野以外にも卓越した知識を持っているのもので、結果それが「ジェネラリスト」への道に一番近いのでは無いだろうか。
日本企業のトップは大抵なりきれていない「ジェネラリスト」で、そこから生まれる経営方針はどこか現実離れしている様に思える。一方海外のIT企業などでは「スペシャリスト」上がりの経営者が多く見られ、現場を知った上での「イノベーション」が現実となっているのを目にする事が多い様な気がしてならない。
どんな道であってもまずはその道で1番、または1番に近い位置へ上る事が成功への近道だと、僕は信じている。
はじめは狭く・深く。やがてさらに深く、そして広く。
正しくは無いかも知れないが、間違ってもいない様な確信がある。
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